タンロン大学元学長ムイ先生の講演を聞いてきました

anhsao2008-06-20


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タンロン大学元学長ムイ先生の講演を聞いてきました

 2008年6月20日ハノイ歴史研究会の主催でムイ先生の講演会がありました。講演のタイトルは、

講演名:私にとっての日本とベトナム〜あるベトナム人の体験をもとに

というものです。会場はVJCCの3階の部屋でした。

ムイ先生の講演で印象に残ったこと

 ムイ先生の講演で印象に残ったこと、感想を述べます。
 (当エントリーのこの項の記述は、当社/センターの日本人スタッフがムイ先生の講演当日にとったメモと記憶にもとづいています。できるかぎり正確、かつ、適確な記述を心がけていますが、もし間違いや誤解等がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。)

  • 講演の前半はムイ先生の日本との関わり、後半はムイ先生による日本とベトナムとの交流史、という内容でした。
  • ムイ先生はフエ出身。サイゴン(現ホーチミン市)で勉強中、日本留学のチャンスを得て(留学に必要な書類はすべて友人が準備してくれたとのこと)、1962年来日。千葉大学東京大学で数学を学びました。
  • 1980年代半ばぐらいからは他国と接触する機会に恵まれ、また、ベトナム政府が打ち出したドイモイ政策もあり、ムイ先生を取り巻く環境に大きな変化があったようです。1980年代後半、タンロン大学(の前身)を(有志とともに)設立、フランス系の在外ベトナム人の支援が大きな力になったとのこと。1994年、正式に大学として認可されました。2000年にタンロン技術学院を設立、現在は日本語教育、エンジニア教育の普及に力を尽くしている、ということのようです。
  • ベトナムと日本の交流史。(20世紀初頭くらいまでしか触れていませんでしたが、ムイ先生の配慮があったのかもしれません。)
  • 日本へ行くベトナム人留学生の数の推移。(日本とベトナムの政治的関係や国際情勢により留学生の数が左右されている、と言っても過言ではないように思いました。)


 会場からの質問に対して、

  • 留学生として初めて来日したのは1962年、羽田空港から千葉へ向かう道はデコボコで疲れました。
  • 日本語の勉強はとてもつらかったです。
  • 先生の月給が15000円、自分の奨学金は30000円(はじめは25000円)。自分が受け取っている奨学金が先生のお給料より高いことにびっくりしました。
  • みそ汁はおいしさがわかるまで6ヶ月くらいかかりました。刺身は慣れるのが早かったです。

というような返答があったことが印象に残っています。

どうもありがとうございました

 「タンロン大学設立の経緯を(もう少し詳しく)教えていただけませんか」という当社/センターの日本人スタッフの質問にも丁寧に回答していただきました。
 ハノイ歴史研究会の方々、ムイ先生、どうもありがとうございました。